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執筆者の写真こさい たろ

3月11日



9年前、東京の端っこで東日本大震災に遭いました。

揺れた途端 咄嗟にとった行動は、頭を守るでも机の下にもぐるでもなく、前後に大きく揺れる液晶テレビが倒れないように必死で抑えていました。全く状況がわからないまま、テレビにしがみついて揺れが収まるのを待っていた記憶があります。


それから3日間、お湯もガスも出ませんでした。外に出ると近所中すべての信号が消えていました。

幸いにも水道はなんとか通っていたので髪を水で洗いましたが、いかんせん3月です。洗髪で思った以上に手がかじかむ上に髪を乾かそうにもドライヤーが使えず、半濡れの髪でありったけの厚着をして眠ったことが忘れられません。


家のすぐ向かいがコンビニでしたが、菓子パンやおにぎりは私が行った時にはとっくに売り切れていました。あるのはスナック菓子が少しと、お湯を入れないと食べられないインスタント食品ばかり。

学生だったこともあり、物流が回復するまではお菓子を食べて過ごしていましたが、それでも1週間が限界でした。

偏食の20代前半でも、「ちゃんとしたごはんが食べたい」と痛感したころに、スーパーに野菜が並び始めたような気がしていますが、いつ頃生活がもとに戻ったかはあまりはっきりと覚えていません。



あれから9年。

昨年、第一子を出産し、命にかえても守り抜かないといけない存在ができました。

そして、震災当時、宮城で被災するも一命をとりとめた祖父と祖母は、昨年他界しました。

帰省するきっかけがひとつなくなってしまったような、少し遠くなってしまったような、そんな気がしましたが、これからもあの日を忘れず、お墓参りがてら、娘の手を引いて宮城を訪れたいです。



2020年3月11日、東日本大震災から9年の日に。

こさい たろ

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